兵庫県南部に位置し、南に淡路島を望む風向明媚で歴史のある町、明石
その中心部にある明石城(喜春城・錦江城)は江戸時代1617年(元和3円)第2代将軍徳川秀忠の命により、信濃松本藩主より明石藩主になった小笠原忠正により築城されました。築城に伴い、明石城下町は伝説の剣豪と名高い宮本武蔵によって設計されたといわれています。
当初は「鶴の城」と呼ばれていましたが5代目城主松平信之のとき、儒学者片山兼山により雅名を「喜春城」と改められました。兼山は中国の故事「塩鉄論」に「君主は仁を以って政を行わなばならず、あたかも春の草木を育てるごとく、善を賞するを貴ぶ」から貴春、貴の字を憚って喜に替え「喜春城」と呼んだということです。
この「喜春城」が明石で創業した当社の名前の由来です。